勝手に
『
根本敬と
水木しげる論』
根本敬の度量の広さにはただただ敬服するばかりである。
おもいろい対象を見つけると下僕と化し観察する。
根本敬は下僕の立場をとる事によって、何者かによって生かされていると言ってもいいかもしれない。
水木しげるも同様に目に見えない世界、存在によって生かされ表現させられている。
水木しげるは人を引き寄せ、
根本敬は特殊な人に引き寄せられる。
両者、アプローチの仕方やベクトルは違うが、その他力本願的な立場と、目に見えない世界や目にみえないものの存在を表現、肯定するところに両者の共通点がある。