もいんもいん!

「もいん」とはもとは北ドイツのおはようという意味です。

日本超古代文明の謎 [新・日猶同祖論] その2

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【おおざっぱな要約】

洪水が起きて日本からちりぢりになった民族のうち、ユダヤ人が日本に戻ってきて、弥生文化を築き、大和朝廷を築いたという。

ユダヤ人は縄文人の子孫であり、弥生人ユダヤ人の子孫だという。

ミクロコスモスのような生活空間で日本独特の文化の多様性を生み出し、八百万の神と共に自然と調和した生活を送っていた。
同一平面を構成できる大陸と違い、日本は山が多いため可能だったという。
しかし、弥生文化を持ち込んだユダヤ人によってその生活は突き崩された。

ユダヤ人は大和朝廷を築き、縄文人はサンカとなった。

奈良の都はユダヤ人だらけ。ユダヤ的慣習が支配し、ヘブライ語が日常語となっていた。

大海人皇子(天武)は朝廷内に中国文化を導入してユダヤ色を一掃し、天皇を中心とする新しい価値観を打ち立てる。

縄文人大海人皇子(天武)に味方し、壬申の乱に加わった。
日本の原住民縄文人と戻ってきた縄文人たるユダヤ人の戦争が壬申の乱だという。

天武は日本全国を支配する唯一絶対の天皇に脱皮するために、正統化するために『古事記』と『日本書紀』を編纂し思想工作している。
天皇家は「天から降り下った天孫族」であると自称するようになる。こうした小細工により天皇は神となった。

天皇家天孫族信仰をもっともらしく偽装するため、ユダヤの社である伊勢神宮氏神とした。

伊勢神宮はもともと外宮が本宮であり、渡会氏と名乗るユダヤ系部族の守護神であった。
太陽信仰の対象として崇め奉られていたのが、天照大神信仰にすり替えられたところから伊勢信仰が始まる。

天照大神は本来、「天皇の大殿の内」で祀られるもだったのが、伊勢に固定された。

天武から見れば強力な見方を得ることができただけでなく、政治と宗教の分離、天皇家の神格化、ユダヤ的宗教の隠蔽を達成できる妙案だった。

天皇家ユダヤ人としての前身を隠し、天孫族と名乗るようになったのは、他のユダヤ系族と一線を画し、優越性を打ち出すためだった。

また、天武はヘブライ語の抹殺を図ったばかりではなく、ヘブライ語のルーツでもある日本固有の文字、神代文字までも抹殺した。
中国から漢字が伝えられるまで、日本には文字がなかったという伝説を作った。


しかし、中国の古文書『契丹古伝』によれば「殷もとこれ倭国なり」と明確に記されているという。

天武天皇によるユダヤ抹殺の企ては、日本古来の、日本固有の文化を歴史を否定し去るものだった。

二重に重なった日本古代史の真実は、中国文化一色に塗りつぶされた、一面的な歴史観を否定して蘇らんとしている。

【メモ】
・十和利山に世界統一政府があった
・日の宮弊立神宮 熊本県阿蘇郡 「水の玉」
ソルトレイク湖畔のモルモン教の寺院 「雲の柱の玉」
・馬見原 古代の神都があった。天孫降臨の地?→応神天皇によって攻め込まれた。
  「明神の水」イザナギの禊の地
  「高天原の乱」の千人塚
・大湯ストーンサークル 秋田県鹿角市
・座散乱木遺跡、馬場壇遺跡 宮城県 13万年前か、二十万年前
縄文文化の始まりと弥生文化の始まりは西日本からスタートしているが、原文化の旧石器文化は東北地方にあるように思われる、とのこと。  

【感想】
神代文字をとんでも扱いするのは天武に原因があったのですね。
日本の歴史が謎だらけなのは、二重に重なっているからだと『伊勢神宮の謎』という他の著者の本で読みました。
こういうことだったのですね。
ユダヤ色を取り除くのに躍起になっている人々がいるのだと思う。
つまり、それを肯定すると今の天皇家を否定せざるを得ない証拠が出てくるのかもしれない。三種の神器も2種類あるらしいし。